8月2日、後楽園ホール。
会場は熱気と期待で満ちていた。
日本ライト級挑戦者決定戦──帝拳ジム所属、浦川大将(28歳)がリングに立つ。
切れ長の目、シャープな輪郭、鍛え抜かれた体。
それは戦士であり、まるで映画の主演俳優のようでもあった。
対戦相手は同級5位・斎藤陽二。
ゴングが鳴ると、浦川は長いリーチと正確なジャブで試合を支配。
観客の視線は「今日こそ勝つ」という確信で一点に集まっていた。
7回まで“勝っていた”試合
試合は浦川のペース。
ジャッジ全員が7回終了時点で浦川の優勢を記録していた。
勝利まであと1ラウンド──その瞬間、会場の空気は歓喜に包まれていた。
だが、8回。
斎藤の渾身の右ストレートが浦川のこめかみ付近を直撃。
その後、嵐のような連打。
浦川の足は重く、反撃はできない。
崩れるようにダウン──レフェリーが試合を止めた。
しかし異変はここからだった。
浦川は立ち上がらず、担架で搬送。
観客席に漂ったのは歓声ではなく、不安と祈りのざわめきだった。
診断は「急性硬膜下血腫」
病院で下された診断は、急性硬膜下血腫。
脳と硬膜の間に血が溜まり、脳を圧迫する致命的な状態だ。
一刻を争うため、その場で開頭手術が行われた。
しかし、医師たちの懸命な処置もむなしく、意識は戻らない。
そして8月9日午後10時31分──浦川大将は、静かに息を引き取った。
急性硬膜下血腫とは──静かに迫る時限爆弾
脳は「硬膜」「くも膜」「軟膜」の三層に守られている。
急性硬膜下血腫は、その硬膜と脳の間に血が急速に溜まり、命を奪う。
特徴的なのは「ルシッド・インターバル」。
一度は会話や歩行ができるほど回復したように見え、周囲を安心させる。
しかし内部では出血が進行し、突然意識を失い、死に至ることも多い。
ボクシングでは、1発の強打だけでなく、試合全体や日々の練習による蓄積ダメージが引き金になることもある。
同じ日に、同じ死因で、もう一人のボクサーが…
この日の後楽園ホール興行では、浦川だけではなかった。
神足茂利(M・T)もまた、急性硬膜下血腫で搬送され、翌8日に28歳で亡くなった。
同じ会場で、同じ死因で、同年代の選手が命を落とす。
これはボクシング界にとって、偶然という言葉では片付けられない衝撃だった。
浦川大将は“イケメンすぎる”ボクサーだった
実力だけじゃない。浦川には“画になる男”としての魅力があった。
鋭い眼差し、試合中の集中した表情、勝利時の微笑み。
そのすべてがファンの心を揺さぶった。
オフの写真では、柔らかい笑顔や少し照れたような表情も見せ、ギャップ萌え必至。
SNSには「俳優いける」「モデルやってほしい」というコメントが並び、
「この顔で殴ってくるなんて反則」という声まであった。
容姿も実力も兼ね備えた存在──それが浦川大将だった。
防げなかったのか?──残された課題
完全な予防は難しい。
発症前に外見や簡単な問診で見抜くことはほぼ不可能だからだ。
しかし、生存率を高める手段は存在する。
- KO/TKO時の義務的なCT・MRI検査
- 試合間隔の徹底管理
- 救急搬送時間の短縮
- セコンドやレフェリーによる迅速な試合ストップ
これらの強化が、次の命を守る鍵になる。
彼が歩んだ道
1997年3月7日、東京・葛飾区生まれ。
アマ経験なしでプロ入りという異例の経歴を持ち、2018年3月にデビュー。
2020年度全日本ライト級新人王を獲得し、戦績は14戦10勝(7KO)4敗。
私生活はほとんど公表せず、おそらく独身。
試合と練習一筋のストイックな生き方を貫いた。
結び──リングに刻まれた存在感
浦川大将は、強さと美しさを併せ持つ希少なボクサーだった。
その死は、ボクシング界にとって計り知れない損失だ。
彼の闘志、ストイックさ、そしてリング上の輝きは、これからもファンの心の中で生き続ける。
同じ悲劇を繰り返さないために、彼の死は決して無駄にしてはならない。
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