2025年夏、日本中が楽しみにしていたFCバルセロナの来日ツアーが、まさかの「開催中止」。
しかも、原因は“日本のプロモーターによる契約不履行”という、前代未聞のスキャンダル。
そこに関わっていた企業こそが、今急浮上中の新興スポーツビジネス企業「ヤスダグループ」。
そして、そのCMO(最高マーケティング責任者)を務めているのが──谷川烈(たにかわ・つよし)氏です。
誰もが一度は耳を疑ったはず。
「えっ、谷川烈?……って誰??」
しかし、彼の経歴をたどっていくと、意外にも“筋金入りの努力家”であり、“エリートを蹴って這い上がってきた男”でもあることが見えてきます。
挫折、再起、成功、そして今また試練。
この波乱のストーリーには、ただの“CMO”という肩書では語れない深みがありました。
この記事では、谷川烈という人物の人生を、プロサッカー選手時代から現在のビジネスキャリアまで、そして今巻き込まれている騒動の全貌までを網羅的に考察していきます。
◆ 第一章:静岡発、エリートコースを歩むも…10代で見た現実の厳しさ
谷川烈氏は1980年4月25日、サッカー王国・静岡県静岡市に生まれました。
子どもの頃からサッカーに情熱を燃やし、清水エスパルスのユース出身という、まさに地元期待の星。
1999年、満を持してエスパルスのトップチームに昇格。
しかし、プロの世界は想像以上に過酷でした。
出場はわずかリーグ戦2試合。監督の構想にはなかなか入れず、苦しい時期が続きます。
そこから活路を求めてJ2・ヴァンフォーレ甲府にレンタル移籍。
20試合に出場し、一時は「このままレギュラー定着か」とも思われましたが、清水に戻ってもまた戦力外。
さらに、アメリカの下部リーグにも挑戦したものの、結果は芳しくなく…
そして2004年。
たった24歳でスパイクを脱ぐ決断を下します。
夢を追ってきた青年が、一度は“終わり”を選ばなければならなかった瞬間。
彼の中に、どれほどの葛藤と悔しさが渦巻いていたか、想像に難くありません。
◆ 第二章:「大学からやり直す」決意が、人生の再スタートに変わった
ここからの谷川氏の選択は、ある意味“異常”とも言えるほどのチャレンジングさを見せます。
プロ選手を引退してからわずか数ヶ月後、彼は大学への進学を決意。
それも、一般入試ではなく社会人入試というハードルの高いルートで、法政大学キャリアデザイン学部へ合格します。
大学では、ただ座学をこなすだけでなく、自分の人生を再構築するように学び、動き、考える日々。
中でも転機となったのは、マクロミル創業者・杉本哲哉氏のゼミに参加できたこと。
この出会いが、「もう一度ビジネスの世界で勝負したい」という情熱に火をつけました。
「サッカーで果たせなかった“成功”。今度はビジネスで掴みたい」
そう強く思った谷川氏は、卒業後、まずは大手企業へと飛び込みます。
◆ 第三章:ブリヂストン、そしてスタートアップへ──再び“勝負の世界”へ
2009年、谷川氏はブリヂストンに入社。
グローバルメーカーの中でも、比較的過酷な“ロシア事業部”に配属されます。
気温マイナス30度の極寒の地で、タイヤの営業を行う日々。
異国の文化、厳しいノルマ、言葉の壁。サッカーとはまったく違う戦場ですが、ここで彼は**「足を使って戦うビジネスの泥臭さ」**を叩き込まれました。
その後、転機が訪れます。
かつての恩師・杉本哲哉氏に「自分で事業を創れる人間になりたい」と相談したところ、杉本氏が率いるスタートアップ企業グライダーアソシエイツに誘われ、2015年に転職。
当初は営業、資料作成、企画、プレゼンと、何でもこなす“何でも屋”。
ですが、その努力が報われ、7年後には執行役員にまで昇格。
中小ベンチャーで執行役員に上がることがどれだけ大変かは、ビジネス経験者なら誰でも分かるはずです。
そして2023年。彼は、また新たな運命の出会いを果たします。
◆ 第四章:安田慶祐との出会い──少年サッカーがつなげた「起業」の絆
彼の人生が大きく動いたのは、子どもを通じて所属していた**少年サッカーチーム「みなとSC」**でのこと。
そこにいたのが、安田慶祐氏。
あの安田財閥の血を引く起業家で、かねてから“スポーツ×ビジネス”を軸にした事業を構想していた人物です。
ふたりは子どもを通じて親交を深め、教育、育成、地域スポーツの課題について何度も語り合いました。
そして、ある日安田氏が口にした一言が、谷川氏の運命をまた変えます。
「会社をつくる。一緒にやらないか?」
こうして誕生したのがヤスダグループ。
2023年に設立されたこの企業は、スポーツマーケティングを中心に、海外クラブの招聘や国内イベント企画などを手がけるスタートアップです。
谷川氏は、創業メンバーとして**CMO(最高マーケティング責任者)**に就任。
欧州クラブとのコネクションを築き、2024年にはレアル・ソシエダやスタッド・ランスの来日ツアーを実現。
「次はバルサか?」と業界の期待を一身に背負う存在へと成長していきました。
ところが――。
◆ 第五章:FCバルセロナ来日中止、そして“信頼の危機”へ
2025年7月。
FCバルセロナ vs ヴィッセル神戸の試合が中止となる、という衝撃の発表がなされます。
その理由は、日本側プロモーターによる契約不履行と資金未払い。
しかも、韓国の共催企業「D-DRIVE」が明かしたところによれば、「偽の送金証明書」が何度も提出されていたというショッキングな事実まで発覚。
矛先はもちろん、企画の中心だったヤスダグループへ。
一夜にして、“期待の新星企業”が“詐欺疑惑の渦中”に立たされることとなります。
谷川氏がこの件にどこまで直接関与していたのかは、現時点では明らかになっていません。
しかし、「CMOとしての責任」「過去の実績とのギャップ」「対応の遅れ」など、多くの批判がネットやメディアで集中。
まさに今、彼はキャリア最大の危機に立たされているのです。
◆ 第六章:家族という“静かな支え”──プライベートの素顔は?
谷川氏は、現在結婚しており、子どもがいることが分かっています。
安田氏との出会いのきっかけも、「少年サッカーの保護者仲間」だったという事実から明らかです。
ただし、妻の職業や経歴、結婚時期、子どもの人数や年齢など、プライベートは徹底的に伏せられており、SNS上でもその気配はほぼ見えません。
華やかな仕事の裏で、家庭はあくまで“守るべき場所”として距離を保っているのかもしれません。
もしも今後、彼がこの危機を乗り越えられたなら、それは家族の支えがあってこそなのかもしれませんね。
◆ 最終章:谷川烈は「再生の男」か、それとも…
谷川烈。
彼は、夢を追い、失い、それでも諦めずに立ち上がり続けた男です。
サッカーという大きな舞台から去ったあと、社会人入試で大学へ進み、企業の営業マンからスタートアップの執行役員へ、そして新会社のCMOにまで昇り詰めたその姿は、まさに**“努力の結晶”**でした。
しかし今、彼はもう一度“谷底”に落ちかけています。
バルサ来日中止によるスキャンダル、企業への不信、そして自身の信頼への傷。
ここから這い上がれるかどうかで、彼の“物語”の評価は大きく変わるでしょう。
失敗は誰にでもある。問題は、それをどう乗り越えるか。
谷川烈という男が、再び「再起のストーリー」を私たちに見せてくれるかどうか。
その行く末に、今、日本中の注目が集まっています。
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