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さくふうめいは何者?正体は誰?噂を徹底調査!

ヤファイアン・アッチャーズ・バンド(Y.A.B)のファーストアルバム『漂着』を手に取った人なら、誰しもが一度は目を留めたであろう、全曲に記された**「作詞・作曲:さくふうめい」**という謎の名前。

検索しても出てこない。SNSでも「誰?」の声がちらほら。
しかも、これがアルバム全曲を手がけているとなれば、無視はできない存在だ。

これはいったい誰なのか。
そして、なぜその名を伏せるのか。

音楽と地元愛が混ざり合ったこの作品の背景に、“名前を持たない”存在がひっそりと息づいている。
今回は、この「さくふうめい」という名義の正体に迫ってみよう。


目次

◆ そもそも「さくふうめい」とは、どう読むのか?

まず名前を見て最初に「?」となるのが、この奇妙な言葉の響き
“さくふうめい”——これはひらがな表記だが、仮に漢字をあてるとしたら、「作風未明」「作者不明」「咲風命」…など、複数の意味が浮かんでくる。

中でも最も自然なのは「作風未明」。
つまり、“どんな作風かまだ分からない”あるいは“正体が明かされていない作者”という意味。

ここで気づく。「ああ、これは**変名(ペンネーム)**だ」と。


◆ 比嘉栄昇本人の変名説──“別人格”としての音楽活動?

もっとも有力視されているのが、**比嘉栄昇本人が「さくふうめい」なのでは?**という説。

Y.A.BはBEGINの比嘉栄昇が中心になって立ち上げた音楽集団。となれば、彼が作詞作曲を手がけているのは自然な流れ。にもかかわらず、自身の名前を一切出さず、あえて謎の名義を使っているのだとしたら、それは“BEGINではない自分”としての活動を意識してのことなのかもしれない。

実際、『漂着』での彼の歌声はBEGINで聴くそれとは違う。
哀愁がにじみ出る枯れた声、ストレートで飾らないメロディ。
BEGINの看板を外したからこそ表現できた、“もうひとつの顔”がそこにはあった。

Y.A.Bが“課外活動”的に楽しんでいるプロジェクトである以上、「比嘉栄昇名義」にすることで期待される“BEGINらしさ”を避けたかったのかもしれない。
ファンに余計なバイアスをかけたくなかった――それは、音楽家として誠実な選択とも言える。


◆ 若手メンバーの正体隠し説──親子コラボの奥ゆかしさ

もうひとつ浮かぶのは、比嘉ケンジロウ(比嘉栄昇の次男)をはじめとした若手メンバーの変名説

Y.A.Bではケンジロウが多くのリードボーカルを務め、自作曲「月の形」ではラップにも挑戦している。
その姿勢からしても、彼が作詞・作曲に関わっている可能性は高い。

しかし、もしこのアルバムに“比嘉ケンジロウ作”と記されていたら?
きっとメディアは「親子共演!」「新世代アーティスト登場!」と騒ぎ立てるだろう。
それを避けたかったのだとしたら、**「作品そのものに耳を傾けてほしい」**という、シンプルで真摯な思いが見えてくる。

島でのびのびと音楽をやりたい。話題性より、音楽性。
そう考えた時、「さくふうめい」は**作り手を守る“仮面”**として、機能しているのかもしれない。


◆ 集合名義説──Y.A.B全体の“島的精神”

Y.A.Bの特徴は、固定メンバーを持たないこと

「そのとき島にいて、スケジュールの合うメンバーでライブをする」という、ゆるやかでフラットなスタンスが特徴だ。
そんなスタイルの中で、「誰が作った曲か」は重要ではないのかもしれない。

つまり「さくふうめい」はY.A.Bという集合体の総意、または島の空気そのものを代弁する“記号”として生まれた名義。

あるいは、複数人が関わって作った楽曲群をひとつの名でまとめることで、個人にスポットを当てず、バンドの空気感そのものを届けるという狙いだったのでは?

音楽を「人」ではなく「場」で捉える──それこそがY.A.Bらしいやり方だ。


◆ 謎は謎のままにしておく美学もある

こうして「さくふうめい」についてあれこれ考えてきたが、真相は本人たちしか知らない。
それでも、わかってきたことがひとつある。

この名前が、音楽の中身よりも先に“作者”が語られる現代の空気に、一石を投じているということだ。

音楽を聴くとき、私たちはいつも“誰が作ったか”に気を取られる。
けれどY.A.Bは、その前に「ただ聴いて」と言っているように思う。

名前にとらわれず、ジャンルに縛られず、
そして“正体がない”ことすら遊びにしてしまう、軽やかな音楽のあり方。

「さくふうめい」は、そんな自由で風通しのいい音楽観の象徴なのかもしれない。


◆ 最後に:真相よりも、この余白が愛おしい

もちろん、いつかインタビューでポロッと「実は俺なんだよね」と語られる日が来るかもしれない。
だけど、正体が明かされないままでもいいと思う。

だってこのアルバムは、“名義不明”だからこそ、どこまでもオープンで、どこまでもローカルで、
だけど妙に心に沁みる、不思議な魅力を放っているのだから。

「誰が作ったか分からない」けれど、「誰かの心に確かに届く」。
Y.A.Bの音楽は、そんな風に、風のように、ゆるやかに漂っている。

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