酒と鬱と“バカの季節”を越えて、文学の最前線に立つ女の物語
日本文学界において、いま最も目が離せない存在が王谷晶(おうたに あきら)という作家です。彼女の人生は、ただの成功物語ではありません。むしろ、その逆。泥沼のような鬱、酒浸りの日々、人生を諦めかけた暗闇の中から、彼女は自らを再生させ、世界に名を刻む物語を紡ぎ出してきました。
社会の片隅で見えなくされてきた人々、その存在に光を当て続ける王谷晶。その壮絶すぎる半生と、作品に込められた魂を、ここで余すところなく紹介していきます。
王谷晶の素顔――見えない存在として消される恐怖
東京都八王子市で生まれ育った王谷晶は、自らをレズビアンだと公表しています。しかし、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。
彼女がかつて勤めていたゲーム業界で、ある男性が何気なく放った言葉があります。「ゲイとかレズって、そんなにいないだろ」。その瞬間、王谷晶は「このままだと自分がいないことにされる」と、強い危機感を抱いたといいます。
“存在ごと消される”恐怖。だからこそ、彼女は「自分がここにいる」と声を上げる必要がありました。社会の中で見えにくくされてしまう人々。自らがその立場にあるからこそ、王谷晶の作品には、そんな「声なき存在たち」へのまなざしが貫かれています。
学歴と、東京への“逃走”
高校卒業後、王谷晶は東京のデザイン系専門学校に進学します。といっても、本人曰く「名前を書けば入れるような学校」だったそうです。目的はただひとつ、家から出ること。
授業にはほとんど行かず、彼女はアルバイトに明け暮れる生活を始めます。ビデオレンタル店、寿司屋、スナック……。生活のために、社会の裏側ともいえる場所で働きながら、彼女は人間観察を続けていきました。
その頃、時間さえあれば古本屋を巡り、映画館まで片道5キロを徒歩で通い詰めるという、ある意味ストイックで偏屈な日々を送っていたのです。
酒と鬱と「バカの季節」
しかし、そんな生活は次第に崩れていきます。18、19歳の頃から酒に溺れはじめ、その影響は30代半ばまで続くことになります。
結局、王谷晶は4年ほどで実家に戻らざるを得なくなりました。酒、鬱、さまざまな問題が重なり、心も体も限界だったといいます。21歳から28歳までの7年間、実家でほとんど引きこもりのような暮らしを続けることになりました。
その間、焼酎「大五郎」の4リットルペットボトルを週に1本あけ、鎮痛剤と酒を一緒に飲むという危険な生活を続けていました。当然、体重も一気に増加し、自分でも「これはヤバい」と感じるほどだったと語っています。
この時期を、王谷晶は自虐的に「バカの季節」と呼んでいます。夢も希望も見えず、フィクションすら受け付けなくなり、現実逃避のように香港映画やネットのグロ映像、殺人事件のドキュメンタリー、事故機のブラックボックス音声ばかりを見続けていたのです。
記憶は曖昧になり、心は壊れかけ、それでもどこかで「このままじゃ終われない」という焦りだけは消えなかったと言います。
再生のきっかけは「掃除」だった
そんな人生のどん底から、王谷晶を救ったのは意外にも掃除でした。
春日武彦と平山夢明の対談本『「狂い」の構造』を読んだことで転機が訪れます。作家・平山夢明がスランプに陥った際、精神科医・春日が「まずは部屋を掃除しろ」と助言したというエピソードに触発されたのです。
掃除なんて……と思いながら、実家の台所の床を磨き始めた王谷晶。しかし、掃除をするたびに心が少しずつ晴れていくのを実感しはじめます。散らかった空間を整えることで、心の中の混乱も整理されていったのです。
気づけば27歳。「だいぶ人生が間延びしたけど、まだやり直せるかもしれない」と思えたといいます。
28歳、トランクひとつの“第二の家出”
貯めたバイト代を握りしめ、28歳の王谷晶は再び東京へ向かいます。トランクひとつだけを持っての、ほとんど家出同然の再出発でした。
東京ではシェアハウスに住み、携帯電話片手に日雇いバイトを転々とする日々。生活はギリギリ、それでも彼女は書き続けました。
この頃、ネット上で二次創作やテキストサイトを運営し、徐々に「物語を書く力」を研ぎ澄ませていきます。ただし、酒量の影響で書く内容が支離滅裂になり、周囲のネット仲間から「この人、もうダメかもしれない」と思われていた時期でもあったそうです。
それでも彼女は、完全に壊れることなく、物語と共に再び歩き出すことになります。
売れない日々から世界的賞へ
2018年、短編集『完璧じゃない、あたしたち』で本格的な作家デビューを果たします。
社会の中で見えにくくされてきた人々、自分らしく生きられない苦しみ、そして何より「存在の証明」をテーマに描いた作品は、静かな共感と話題を呼びました。
2020年には長編『ババヤガの夜』が日本推理作家協会賞の候補となり、そして2024年、日本人として初めて英国のゴールド・ダガー賞の最終候補に選出されるという快挙を成し遂げたのです。
決して順風満帆ではなかった人生の積み重ねが、ようやく形を結びはじめた瞬間でした。
強すぎる酒豪体質と危うい日々
王谷晶は、自身の酒豪ぶりについても率直に語っています。
父親は下戸、母親は普通。しかし、祖母が「ザルを通り越して輪っか」と言われるほど酒に強く、その遺伝子をしっかりと受け継いだのだそうです。
若い頃、スナックで働いていた際やライター時代には、酔わせて潰そうとする男性客に逆に「潰し返した」こともあったとか。肝臓が丈夫だったおかげで命拾いした場面も少なくないと言います。
良くも悪くも、酒との距離は王谷晶の人生にずっと影を落としているのです。
恋愛・結婚・パートナーの存在は?
プライベートについて、王谷晶は多くを語りません。しかし、レズビアンを公表していることからも、自身の恋愛観や人生観はしっかりと確立されています。
結婚やパートナーの有無については公にはされていませんが、「見えない存在でいたくない」という彼女の強い信念は、人生の選択にも表れています。
作品には、規範や常識に縛られず、自分らしく生きることの苦しみと美しさが色濃くにじんでいます。
壊れかけた天才が、物語で世界を変える
鬱、アルコール、社会からの疎外感、そして絶望的な「バカの季節」。そのすべてを背負いながら、それでも王谷晶は再生し、文学の世界で自らの存在を証明してきました。
彼女の言葉を借りれば、「岩に小さな釘穴を開けるように、社会に風を通したい」という静かな革命の意志。そのまなざしと物語は、これからも見えない誰かの心を揺さぶり続けることでしょう。
「終わった」と思った人生を、何度でもやり直せる。その証明こそが、王谷晶の生きざまなのです。
今後、どんな物語を彼女が描くのか、その行方を見逃すわけにはいきません。
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